今回のブログは、「平家物語」の悲恋で知られる、小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺、清閑寺
と紅葉についてご案内いたします。清閑寺には、清水寺からちょっと足をのばせば行けます。
「京都観光 紅葉」のガイドブックに必ず出てくるような有名なお寺ではありませんが、
地元の人たちにとっては、「京都 紅葉 時期」に訪れたいと思うお寺のひとつです。
清閑寺は、延暦13年(794)に平安京に遷都された後の、延暦21年(802)に創建。
歌乃中山(うたのなかやま)と号する真言宗智山(ちさん)派の寺。
かつては、清水寺に匹敵するくらいの大きなお寺だったそうです。
百分は六千秒に如かず。9月3日に実際に行ってきました。
ここからは、その時の写真を見ていただきながらご案内いたします。
清閑寺は右の一番下あたりです。この図ではすごく離れているように見えますが、
清水寺の音羽の滝からゆっくり歩いても10分あれば着きます。
音羽の滝から右に(子安の塔の方向)道なりに3〜4分歩くと出口につきます。清閑寺の方向へ。
出たあたりの道。3分位歩くと民家もあり開けてきます。念のため女性おひとりは避けてください。
さらに進むと、清閑寺への登り口に。もし右の舗装路を行かれたら、駐車場から石段を上がります。
登り口からこんな山道を2分位歩くと、(この坂道の右上あたり)高倉天皇陵に着きます。
六條天皇、高倉天皇陵。高倉天皇陵の傍らには、天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったと
いわれる小督局の墓があります。(非公開)
天皇陵横の石段を上がった正面が清閑寺の門。「もみじ」が歓迎してくれていることに気づきます。
清閑寺境内と「もみじ」。本堂が斜めに見えますが、ピサではありません、実際には真っすぐ
立っています。お寺の方のお話では、「紅葉 見頃」は、12月上旬とのことです。
小督の肖像。保元二年(1157)生まれ。平清盛の娘を中宮(皇后のこと)とする高倉天皇に寵愛されたために、清盛の怒りを買い、小督局は宮中を追われ、この寺で出家させられたと伝えられる。
高倉天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、
二十一歳の若さでこの世を去られたという。
境内には小督の供養塔があります。
願いが叶うという要石(かなめいし)。わたくしも「願いごと」をしてきました。
「京都 紅葉 時期」の12月にふたたび訪れることを今から楽しみにしております。
お寺の案内文によると、『庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき、その石が丁度扇の要の位置にあたることから「要石」と呼ばれ、願いをかけると叶うといわれている』という。
小督は京の都が一望できる「要石」のあたりに立ち、宮中の日々を懐かしんでいたと伝えられる。
同時に高倉天皇のことも思い浮かべていたことでしょう。
上の左端に京都タワーが見えます。京都プラザホテルはその左方向ですが隠れています。
真ん中の大きな瓦屋根が見えるのが、東本願寺です。その斜め右が、西本願寺。
帰り道ですが、清閑寺から下の方向に国道1号線があります。バス停が見つからず、五条坂まで
歩きましたが、20分位かかりました。車がビュンビュン通る側道を歩くのでおすすめできません。
駐車場までタクシーを手配されるか、同じ道を清水寺へ戻ってください。
もう一度、拝観料300円を払っても、清閑寺と清水寺の両方の「もみじ 紅葉」の余韻に浸れることの方が幸せなことかも知れません。
これは清水寺のもみじです。「京都 紅葉 時期」の清水寺もぜひごらんください。
長いブログを最後までごらんいただきありがとうございました。
おひとりでも多くの方が、「京都観光 紅葉」に清閑寺を訪れていただければ大変幸いです。