三千院・寂光院の悲しい歴史

三千院

さて前回の好きシリーズ第2弾「あなたが好き」で、京都は沢山の魅力を秘めた不思議な街、恋に破れたり恋に疲れた人が心を癒しに元気を頂ける素敵なお寺『三千院』、『 寂光院』を少しご案内致しました。

今日は寂光院について語らずにはいられない悲しい歴史がありますのでご紹介してみたいと思います。・・・それは壇ノ浦の合戦で平家の敗北を悟った清盛の妻・二位尼(にいのあま)が八歳の安徳天皇を胸に抱え、海に身を投げたのです。

これを見た、安徳天皇の母(清盛の娘)建礼門院徳子も海に身を投げたのですが、敵方源氏の海を掻く熊手に徳子の黒髪がひっかかり助けられたのです。
徳子をはじめ、何人かは源氏によって助けられましたが、その多くは後に処刑されるなか、ただひとり助けられた建礼門院徳子・・・東山の「長楽寺」で髪を下ろし、その年に大原の里を隠棲の場所に選び、我が子安徳天皇と滅亡した平家一門の冥福を祈る為に寂光院の傍らに庵を結び、生涯を閉じるまで念仏三昧に過ごし、一門の菩提を弔ったのです。

大原街道を挟んで右へたどれば『三千院』、左へ山裾を上り草生(くさお)川に沿って歩くと『寂光院』。今は多くの観光客が訪れ、観光地で賑わっていますが、緑深い山里にたたずみ人里離れた静寂に包まれる寂光院。

初代の庵主は聖徳太子の乳母で、以来代々貴族の尼君が住職をつとめた尼寺で、向かいの翠黛山(すたいさん)は建礼門院が仏前に供える花を摘みに行ったところといわれ、「平家にあらざれば人にあらず」とまで言わしめた一門の劇的な滅亡を、二十代の若さで栄枯盛衰の理を現実に見てしまった建礼門院の哀しみ、その苦境は現代人の私には想像を絶します。

また平家物語に登場する女たち、清盛に寵愛を受けていた祗王が仏御前の出現によって捨てられ、祗王の母、妹と共に屋敷を出され嵯峨の奥の山里の庵に入り、その後も清盛の非情に追われ、この苦しみから逃れようと一度は身を投げようとしましたが、母と妹の存在に思いとどまり出家したのです。

のちに仏御前もここを訪れ、自分の行く末と重ね合わせて尼に。
また、高倉天皇の寵愛を受けていた琴の名手小督(こごう)も清盛の娘の徳子を高倉帝に入内させ、天皇の外戚となり不動の地位を築くという目論見によって迫害を受け、小督も嵯峨に身を隠したのです。
この時祗王は二十一歳、仏御前十七歳、小督は二十三歳・・・こんな若い身空で愛する男に飽きられることなく絶対の愛を得ることは不可能と悟り、その傷ついた様は時代の一言ではとても片付けられず、あまりにも悲しく切なく心が痛みます・・・。そんな歴史の背景を重ね合わせてぜひ訪れてみて下されば幸いです。
男に翻弄され愛憎に苦しみ、大原、嵯峨野で出家の道を選び、俗なる世界を離れ、そうすることによって苦境と対峙し、はかなくも強く生き抜いた女性の本当の強さを感じ得ずにはいられません。
寂は「煩悩を離れる意」光は「真の智の光が照らす意」・・・「京都大原三千院♪恋に疲れた女が一人〜♪」・・・ほら、聞こえてきませんか?

少し長くなり読み疲れましたか? 次回は好きシリーズ第3弾を考え中ですので、是非お楽しみ下さい。

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